教育実習1週目③初めて学校で怒って泣いた日
教育実習1週目の最終日。
クラスの子どもたちともけっこう仲良くなれたと思い始めた時にそれは突然起こった。
給食の時間に具合悪くなって吐いてしまった子がいました。
小学校ではよくあることで、私は対応に慣れていたので動揺はあまりしなかったのですが。
学校で吐いてしまった場合、その教室は消毒しなければならないので、子どもたちや荷物は空き教室に移動しなければなりません。
担任の先生は具合の悪くなった子どもを保健室に連れていったり、保護者に連絡したりと忙しそうでした。
その代わり保健室の先生や職員室にいた教務の先生や何と校長先生までかけつけてくれました。
とりあえず私は隣の空き教室に子どもたちを誘導し、給食を食べるよう誘導したり、スムーズに片付けできるように準備をしました。
自分の給食は食べる暇なかったのですが、担任の先生が戻ってきた時に、「職員室で食べてきていいよ。」と言ってくれました。
私はすぐに食べ、担任の先生のお手伝いをしなければと思い、給食を持って職員室にすぐ行きました。
職員室に行くと、教頭先生と教務主任の先生が災害時用に学校に備蓄してあったワカメご飯を炊いて、おにぎりを作っていました。
給食の時間が短くなり、あまり食べられなかった子どもたちのために、持ち帰り用に準備してくれました。
私は忙いで給食を食べました。
食器は給食センターに返すので
、いつもなら次の日でも大丈夫ですが、その日は金曜日。
給食センターが来る前に急いで返さなくては…。
そう思っていたら、図書室の先生が「食器は私が洗うから、先生はすぐ行って子どもたちを見てきてね。」と言ってくれました。
それを聞いて何だか涙が出そうになりつつ、急いで戻りました。
戻って何とか5校時までに教室の荷物の移動は完了し授業ができる状態になりました。
帰りの会が始まる前に担任の先生と少しだけ話をしました。
どうやら私が職員室に行って給食を食べている間、子どもたちはしゃべりながら給食をおかわりしたり、ふざけて遊んでいたようです。
それを聞いて何だかすごく悲しくなりました。
具合の悪い子がクラスで出て、さらにたくさんの先生方がお手伝いに来てくれたのに…。
帰りの会の時に毎日私がみんなに話をする時間を担任の先生が設けてくれました。
その日私は子どもたちに向かって話しました。
「今週はみんなとたくさん遊べて楽しかったし、みんなの良いところをたくさん知れたという話をしたかったのですが、今日はその話できません。給食の時のみんなの姿がひどかったからです。だってみんな自分のことしか考えてないじゃん。来週は少しでも変わっていたら良いと思います。」
そんな話をして涙がこぼれました。
さすがにシーンとなってしまいました(;_;)
担任の先生に後で泣いてしまったことを謝りました。
担任の先生も頭にきていたようなので、大丈夫と言ってくれましたが…。
「みんな自分のことしか考えてないじゃん。」は言い過ぎだったかもしれません。
1番自分のことしか考えてないの私なのに。
と思いつつ、2週目は気持ちを切り替えて頑張ろうと思いました。
教育実習1週目②地獄の指導案作成その1
教育実習に行くと研究授業というものを必ずやります。
研究授業とは、たくさんの先生方に来ていただき、その後研究会を開き助言をいただくというものです。
研究授業をするにはまず授業の細かい計画を立てる「指導案」というものを作ります。
私は中学校で期間採用で国語を教えていたので、軽い気持ちで研究授業の教科に国語を選択しました。
これが後に命とりに…!\(^^)/
国語の「一つの花」という単元を選びました。
戦争のお話で、簡単に説明すると、戦争に行くお父さんが娘に一つの花を贈る話です。
またこの単元選びが後に命とりに!…\(^^)/
教育実習1週間終わりの週末…。
そろそろ研究授業の指導案でも作ろうかな。
と、ふといただいた2年分の校内研究の資料をペラペラ…。
校内研究とはその学校独自の授業についての研究会のことです。
外国語、体育、算数、道徳…。
ペラペラ…。
待て、
国語が一切研究されてない!?\(^^)/
その時点で気づくべきだった。
校内研究でさえ研究されていない「国語」を、素人の教育実習生が絶対に手を出してはいけない教科だったということを…。
研究授業の指導案作成編その2に続くよ!?\(^^)/
とりあえずラジオ配信でもはじめてみました。
いや、はじめるなよ!笑
ブログ書けよ\(^^)/
教育実習の時にも、今までの人生でもたびたび思っていたことは、人見知りがゆえ私はコミュニケーション能力が低い(・・;)
コミュニケーション能力の低い先生はさすがにまずい\(^^)/
でも今は仕事も辞めてるし、新たな人間関係を築くのは難しいので悩みました。
最近は音声配信が何となく流行っている気がしたので、ラジオとかやってみたいなと思いました。
いろいろやり方を調べて配信アプリなるものにたどり着きました。
さっそくトライ\(^^)/
まずは誰かのラジオ配信聞いてみるか?
誰にしよう?
と思いポチポチしてましたら、何かいきなりラジオ部屋?に入ってしまい、
「にゃんさぶさん、こんにちは!」の声に驚きスマホを放り投げました\(^^)/笑
まさかいきなり反応が来るとは思ってなかった(・・;)
びっくりしすぎて初めて入ったラジオ部屋からは逃げるように退出…。
すみません(;_;)
心の準備をして2度目のチャレンジ!
次のラジオ部屋の人とは何とか会話?できました(*^^*)
自分がライブ配信アプリ初めてだと言ったうえでいろいろ教えてくれました!
その後自分主体で配信もしました。
もちろん顔出しなしでラジオ配信です。
ドキドキ(・・;)
誰か来るのかな?
とりあえず支援員の仕事について一人で勝手にしゃべる。
誰かキター(゚∀゚)
しかも何かコメントもしてくれた!
とりあえず1時間ほど勝手にしゃべって、勝手に終わりました。
聞きにきてくれたリスナーさん?と会話しつつしゃべり続けるのは難しいですな。
その後また誰かのラジオ部屋に参加しました。
仕事のこととか話せたし、他の参加者の方がベテラン?の人ばかりで勉強になりました。
初めは配信アプリ自体初めてでめちゃくちゃ緊張しましたが、みなさん良い人ばかりで楽しかったです。
今は教育実習終わったし、大学の勉強くらいしかやることないので、ラジオ配信にもまた挑戦してみます。
教育実習1週目①心がけたこと
小学校の教育実習は基本的に4週間です。私の場合はコロナの関係で3週間に短縮されました。
小・中学校と2回教育実習に行っていますが、だいたい実習1週目は自分の担当のクラスと他の学年やクラスに行き授業見学をすることがメインとなります。
中学校の実習の時に特に後悔したことは、子どもに全然話しかけることができなかったことです。
というか子どもに限らず、大人に話しかけるのも苦手!!\(^^)/
でも今回は後悔したくなかったので、とにかく子どもだろうが、大人だろうが空気を読まず話しかけまくりました。
まずは自分のクラスの子です。私の実習担当の学年は4年生になりました。
ここで確認ですが、私は実習先の小学校に支援員として2年勤めていましたので、少しは名前と顔が分かっていた状態でした。
しかし、支援員時代は基本的には特別支援の子ども中心の支援でしたので、特別支援の周りにいた子はなんとなく分かりますが、関わりのない子とはほぼ接点なしです。
特別支援の子も全学年にいたので、当然支援員時代は1日中違う学年間を駆け回る日々。
さらに実習先のクラスは去年特別支援の子は在籍していないので、1度も教室に行きませんでした。
はっきり言ってほぼ一言も話したことのない子ばかり。
休み時間は頑張って晴れていたら外に繰り出し、雨が降ったらトランプをやるみたいなので心の準備だけしましたが。
ここで気になることが一つ。
もし今私が小学生だとして、自分のクラスに実習生のよく知らない先生が来たとしたら、どうするか?
絶対話しかけない!!!
私は典型的なおとなしい部類の子どもでしたので、話しかけることが苦手な子は絶対に自分から来ないと思いました。
それか自分と違うグループの子がいたら遠慮しますよね。
そう思ったので「なんでも書いていいノート」を作成しました。
イラストか、イラストが苦手な子もいるので、自分のサインを書いてもらうことにしました。
これを休み時間他の子と遊んでいる時でも机の上に出しておいて、ノートに書いてもらったり、話しかけるネタにしようと思いました。
3週間で数ページしか埋まりませんでしたが(笑)
おとなしい子とも話せるきっかけにつながりました。
そしてノートにピカチュウのイラストを書いたので、毎日ピカチュウとイーヴィのイラストを子どもたちに描き続けることになりました。
子どもたちにとって私は先生じゃなくて、ポケモンを描く人になったかも?\(^^)/
教育実習に行くために必要なもの
教育実習無事に終わりましたので、ぼちぼちブログにまとめます。
ちなみに私は3歳の息子がいるので、本来教育実習に行く確率が非常に高い教育系の大学4年生の20代前半の学生さんにはあまり参考にならないかもです。
それでも良ければどうぞ!
★教育実習に必要な物ランキング★
第3位は…!?
・不屈の精神
いきなり精神論(・・;)笑
しかし、これがないと危険です。
中学・高校の国語の免許があり、さらに期間採用1年の勤務経験、支援員として5年の勤務経験、さらに教育実習先は支援員として勤務していた母校という、スーパーラッキーな条件の私はこの3週間で身も心もボロボロになりました\(^^)/
私の能力が低すぎるだけなのか?
第2位は…!?
・家族の理解
私は夫と幼稚園年少の息子と3人暮らしです。
学生さんであればきっと母校で教育実習なので教育実習中は実家に帰る感じです。
中学校の教育実習ではもともと家から大学に通っていたので、特になんの問題も無かったです。何とありがたいこと。
今回と前回の実習で大きく違うのはここ!
息子がいることです。
男はほっといても死にませんが(あくまで個人的な考え)子どもは分からない(;_;)
それを想定して私は支援員勤務時代からありとあらゆる家事・育児を夫に叩き込みました。
今では立派なクッキングパパです。
そこまでしても当然向こうも働いているので、できなかった家事・育児は私ができる範囲でやりました。
堂々の第1位は…!?\(^^)/
・健康
私は第3週目で一気に体調を崩しました。
この3週間ほぼ給食しか食べていませんでした。
食べたら寝るから、絶対食べないみたいな感じになってきて、かなり危険な状態でした。
3週目の中盤から風邪を引いて喉が超ガラガラになりました。
食べてないし、寝てないしでそりゃ風邪も引くよ…
これから教育実習に行く皆さん、絶対にこんな生活しないで下さい!
自分がこんな状態でも周りの先生は一切気がつかず、最後はむしろ言い訳みたいな言い方されました(;_;)
健康は自分だけしか守れない。
それだけは忘れないで下さい。
他にもPCで作った授業のデータを保存するUSBとか、授業をした黒板を撮るデジカメとか(スマホは絶対ダメです。昔子どもにとられていじられた。)いろいろありますが…
そんなもんどうだっていい!
命だけは大切にして下さい。
元気があれば何でもできる!
外から支援員を見てみよう
支援員を辞めて約1ヶ月。
自分の子どもが幼稚園に入園することになった。
支援員をやっていた時は保育園で、初めての幼稚園。
集団生活は大丈夫だろうが、制服だったりお弁当だったり保育園とはやはり違う。
荷物を揃えるだけでいつも精一杯である。
朝車で幼稚園まで送っていくと迎えの先生がいてくれる。
その先生たちは入園式の自己紹介の時に
「おたすけマンの先生たちです!」
と紹介されていたので、おそらく以前の私と同じ立場の幼稚園の支援の先生であろう。
幼稚園の中には入らず、門でその先生たちに子どもを引き渡すことになっている。
保育園の時は必ず中に入り子どもを引き渡していたので、親の立場からすると大変ありがたい。
迎えの時も一緒にいてくれる。
おそらくお弁当とかトイレとかの場面などでもお世話になっていると思う。
学校で支援員の仕事をしていた時、正直自分は何か役に立っているという実感があまりなかった。
支援員なんていてもいなくても同じなんじゃ…?とさえ思っていた。
しかし、自分が親として逆の立場に立った時そのありがたみが初めて分かった。
大事な仕事なんだ。
それと同時にちゃんと休憩とれているか、お給料は少なくないかという別の心配も頭をよぎった(・・;)
今日も支援の先生ありがとう。
支援員辞めました
3学期の修了式…。
今年度最後の日がやってきました。
コロナの影響か分かりませんが、修了式も離任式も午前中に短縮し、zoomでの放送でしたが超忙しかったです。
そして離任式のスピーチは支援員の私は最後で、今まで誰も泣いていなかったのに、私だけ涙声になってしまった…。
特別支援学級は情緒、病弱学級の先生も退職&異動なので一気に人手不足になり、帰りの会から2年生のクラスに参加。
涙の別れの後に気まずい(・・;)笑
でも最後「1年間ありがとうございました。」と話しかけてくれました。
いや、2年間いたから!笑
先生たちとの別れの時もたくさん「教育実習頑張ってね」と声をかけてもらいました。
決して若くはない年齢で、
小さい子どもがいて、
さらに人前で話すの苦手な私の、
新しい挑戦が始まります。
支援員は辞めましたが、
教育実習編に続く…!?