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小学校支援員ちょもの日々

小学校で特別支援教育支援員をしています。元中学校の国語の教師。教育や子どもの役に立つことがしたいと思いつつ、何からすればいいか分からず模索中。

将来の夢や目標なんてなくていいんだよ

私が小さい頃なりたかった職業は小説家です。

小学校1年生くらいから自由帳にたくさん物語を書いていました。

 

成長するにつれ、だんだん物語を書けなくなってきました。

イデアが浮かばないなら小説家になることは難しいなと感じました。

 

そこからは特に夢も目標もない人生でした。

 

大学在学中にお菓子を作って喜ばれた経験が嬉しくてパティシエになりたいと思いました。

でも大学を中退してまで、家族の反対を押しきってまでやらなかったということは、そこまでなりたいわけではないと気づきました。

 

大学生の時に特に理由もなく教職の授業をとりました。

教員になりたかったわけではありません。

ただ何となくです。

教育実習行きたくなかったら別に行かなくてもいいと思ってました。

 

だんだん教職をとっていた周りの友達は辞めていきました。

十何人かいたクラスメートは気づけば私を含め5人になっていました。

 

それでもなぜか私は辞めませんでした。

 

大学4年生の時に中学校に教育実習に行きました。

授業は全然上手くいかず、毎日泣いていました。

担当の先生にもたくさん怒られました。

私は教師に向いてない、二度と教師なんか目指さないと心に誓いました。

 

就活に失敗しました。

しぶしぶ学校支援員の仕事を始めました。

 

あんなに子どもが苦手だったのに、仕事は毎日とても楽しかったです。

学校の仕事好きなんだと、そこで初めて気づきました。

 

それでも教員採用試験には不採用で、支援員の仕事も継続できませんでした。

 

仕事の契約期間を終えて後また就活し、神社に就職しました。

 

神社の仕事はとても勉強になるけど、何かが足りない…なんだろう?

 

いつも思うことは「教えたい」と思うことでした。

 

神様のことやお祭りのこと、いろんなことを知るたびにそれを「守りたい」ではなく、「教えたい」と思いました。

 

気づいた時には神社を退職してました。

 

また一からやり直しです。

 

再び学校支援員の仕事をし、失敗しながらも楽しいと思えた日々でした。

 

期間採用の教員試験に合格し、中学校で国語を教えることになりました。

 

初めての教員生活、初めての中学校にその時は無我夢中でした。

やれることはやりつくしましたが、身体を壊しかけ、結婚し子どもも早く欲しいと考えていたので、一度支援員の仕事に戻りました。

 

そして子どもを授かり退職し、何年か経ち、また学校の仕事がしたいと思いました。

 

私は夢や目標は大人になって初めてもつことができました。

好きか良く分からないけど、何となくやってたらずっと続いていたものが「夢」なんじゃないかなと思う。

 

だから将来の夢や目標がないといって悲しい顔をする子どもたちに言いたい。

「将来の夢や目標なんてなくていいんだよ。」と。

 

そして安心していろいろな勉強や体験をさせてあげられる環境を作ることが私の夢であり目標だ。